生体分子の紫外線損傷
話は核心に近づいてきました。
では、生体分子の紫外線損傷についてみてみましょう。
最も恐ろしい反応が短波長の紫外線(UV-C)によるDNAの光架橋です。私達の遺伝情報を司るDNAにはアデニン、チミン、
シトシン、グアニンの4種類の核酸塩基が含まれています。このうちの、チミンやシトシンの分子が2つ近接しているところに
UV-Cが当たると、電子の配置が変わって2個の分子の間に橋渡しの結合が2つ同時に出来てしまいます。=と=から□ができる
わけですね。これをシクロブタンダイマーと呼び、こうなると遺伝情報の読み取りが出来なくなってしまうのです。
この反応は生物にとっては致命的ですが、逆にこれを積極的に利用しているのが「殺菌灯」です。理容室や病院に薄紫色の灯
りがついた箱が置いてあるのを見たことがあるでしょう?あの薄紫色の光は殺菌灯の光の中に少し含まれている可視光で、箱の
中では目に見えない短波長の強い紫外線がハサミやカミソリや医療器具に照射されています。殺菌灯の光に曝されるとバクテリ
アのDNAは光架橋反応を起こして、たった数秒間で機能を失ってしまいます。まさに殺菌ですね。UV-Cは波長が100-280 nm
の紫外線で、250 nm付近の波長がちょうどチミンやシトシンの分子の吸収波長に一致しているのです。
UV-Cは太陽光の中にも含まれているのですが、オゾン層によって吸収されるため、地表には届きません。もし地表に届いて
いたら、地表に居る生物はすぐに死んでしまいます。ひところフロンガスによってオゾン層が破壊され、オーストラリアなどで
は紫外線強度が上がってうっかり外を歩くと火ぶくれになったりといったこともありましたが、フロンガスが禁止された効果が
出てきたらしく、最近では随分と回復してきたようです。
このように、UV-Cは生物にとって致命的な作用をもたらせます。では、UV-BやUV-Aはどのような化学反応を生体の中で起
こすのでしょう?実は、いくつかの例を除いて、あまり細かいことはわかっていません。というのは、光化学反応というのは
「光を吸ったら起こる可能性がある」わけでして、生体を構成する分子はそれはそれはもう膨大な種類ですし、その中でかなり
のものがUV-Bを吸収するからです。UV-Aを効率よく吸収する物質になると比較的数は減りますが、それでもまだ膨大な数に
なるでしょう。おまけに、ここが非常に重要なところなのですが、生体をコントロールしているのは最新の分析機器でも測定で
きないほどの極微量の物質であることも多く(「シグナル伝達物質」といいます。ホルモンがその代表ですね)、さらに困った
ことに、それらの中にはごく一過的に、しかも局所的に生成してすぐに壊されてしまうものも少なくないので、その光反応性を
一つ一つ細かいところまで観測するというのは至難の業なのです。しかし、体内時計のように、光で制御されている非常に重要
で、しかも面白い研究ターゲットが沢山ありますから、この分野は非常にエキサイティングです。
驚かれるかもしれませんが、私達光化学の研究者は通常、「たった2種類の物質だけを使って」研究を進めます。一つは光で
励起する標的の分子で、もう一つはその標的分子と反応する相手の分子です。しかも、標的の分子の濃度はできるだけ薄く、
また、光の強さもできるだけ弱くしておきます。そこまで系を単純化しなければ、光のエネルギーを吸収して励起された分子が
どのような経路で化学反応を起こして最終的な生成物に至るのかを一つ一つ解明していく精密な研究はできないのです。前述の
UV-Cによるチミンの二量化反応などはこのようにして研究がなされました。そういった個別の反応が解明出来て初めて、今度
は標的の分子が集団できれいに並んでいたりするとどういう効果があるか、といった研究が可能になります。ちなみに、私が研
究しているのは、ナノサイズの金のトゲや孔の中に分子をいくつかくっつけたりきれいに並べたりして、それがどういうふうに
光励起され、反応につながっていくのかを調べることです。ナノサイズの金や銀のトゲや孔には光を集める力があるので、その
効果をうまく使えば、蛍光を使った免疫分析の感度や光触媒の効果を劇的に増強できるという狙いです。そういった系での研究
は極限的な計測になりますから大変です。もちろん、それでもまだ、生体の中の光反応を追いかけるよりかは遙かに楽でしょう。
紫外線によるヒトや植物の日焼けや免疫抑制や成長阻害といったマクロな生理現象と、その根源である個々の光化学反応をつな
ぐのは非常に難しいのです。
話を元に戻すと、分子機構まではっきりわかっている数少ない例の一つがUV-Bによる7-デヒドロコレステロールからのプレ
ビタミンD生成です。しかも、これは生体にとって数少ない利益のある反応です。その昔、お日様の光を一杯に浴びる子は元気
な子!と言われた背景には、実はこの反応があります。成長期の子供にとってビタミンDは非常に大切です。講義中にビタミン
Dの効果を問いただしたら、答えられた人はほとんど居ませんでした。愕然というより呆然です。家庭科は入試に関係ないから
勉強しないのでしょう。寒い話ですね。それはともかく、骨の成長に欠かせないビタミンDですから、それを確保するためには
紫外線をたっぷり浴びなければ、と昔の人が考えたのも無理のないことだと思います。しかし、日本のように日射量の多い国で
は意図的に浴びなくても十分過ぎるほどの紫外線を浴びています。ただし、ビタミンDが不足する可能性のある妊娠している人
や乳幼児については指針に従って日光を浴びることが必要です。北欧やロシア北部のような極地方に住む子供達は冬の間ほとん
ど日光を浴びることができないので、ビタミンD欠乏症にならないよう、幼稚園や学校で定期的に水銀灯を使って紫外線を浴び
るそうです。この反応を考えると、「紫外線は百害あって一利ある」といったほうがいいかも知れませんね。